2012年03月17日
奄美ちゃんの加計呂麻日記-023
奄美ちゃんの加計呂麻日記
-23
今日は朝から雨が降っています。 それでも近頃は晴れの日が続くようになりました。
もう、3月の中旬になりました。 学校関係は入学試験、卒業など忙しい季節です。
加計呂間の小中学校でも卒業式があちこちで始まります。
奄美ちゃんの近所の小学校でも、3/23が卒業式だそうです。そして明けて4/06には入学式、始業式が始まります。
加計呂麻島 生間付近の海岸
先日、近所の「瀬戸内町立俵小学校」からいつもの<くじけるな>という名称の新聞を頂きました。そこに、斉藤 喜博くんの「ひとつのこと」という文章が掲載されていました。
「「一つのこと」」
いま終わる一つのこと いま越える一つの山 風わたる草原
ひびきあう心の歌 桑の海光る雲 人は続き道は続く
遠い道なるかな道 明日のぼる山もみさだめ いま終わる一つのこと
春の清々しい辺りの自然の情景がパノラマのように眼に浮かんでくるような綺麗な詩ですね。そして、自分の人生の一つの節目が眼の前に見える。 それを越えて次の目標に向かって進もう・・・・というような決意が読み取れます。
この一編の詩を一言で表すと・・・「向上心」・・・という事に書き換えることが出来ると思います。この向上心は何も若者だけに向けられた言葉ではありません。
幾つになってもこの言葉を忘れず、日夜自らの向上のために努力をする人間を若者と言って間違いでは有りませんでしょう。
少し前の事ですが、東京大学のある名誉教授が99歳の時、フランス語の数学の原書を邦訳(日本語に翻訳)して、話題になったことがあります。
* 弥永 昌吉 東大名誉教授・・・・戦前の数学界を代表する東大の高木教授の門下生。
高等学校の数学Ⅰ・Ⅱ・Ⅲの教科書の執筆者としても有名。 門下生にフィールズ賞受賞者の小平 邦彦,金融論の世界で<伊藤の公式>で有名になった、故 京大名誉教授の伊藤清がいる。
余談ですが・・・
フランス語を学んだ事がある方はご存知でしょうが、なかなか手ごわい言語です。
フランス語の文章を普通の速度で読める様になるには、大変な努力が必要です。
文章を現地人に普通の速度で読んでもらうと直ぐ分かりますが、初学者ですと文章に付いて行けません。 2~3行で何処を読んでいるのか分からなくなってしまいます。
アルベルト・カミユ <地中海>(メディテハネ)
時々、2~3の単語をあたかも一単語のように発音してしまうので、聞いてる初学者はそこで脱線転覆してしまうという事になります。後は唯呆然として、今読んでいる箇所を探すのみ・・・というような悲劇に遭遇します。
フランス語は普通、大学の1~2年生(回生)位でお目にかかることが多いのですが、大体これで「自分はとんでもない言語を第2外国語に選択した」ことを後悔します。
フランスは<ポアンカレ>や<ガロア>など、昔から有名な数学者を輩出してきた国ですが、90歳を遥かに過ぎてから、日本の数学の専門家が数学の原書を邦訳するというは、並々ならね決心と努力が必要になってきます。当然のことながら、出版した本は世界の専門家の眼にさらされることになります。数学書ですから文学書や文芸書のような文章表現の巧みさは必要ではないでしょうが、数学独特の正確さを要求されますでしょう。
この数学者の努力は敬服の一語に尽きます。 この方は出版の翌年に100歳で他界されました。精魂尽き果てたように・・・・この方は生涯青年で有られた方と思います。
一般的に言って、「数学者」は頭が柔らかい方が多いようです。柔軟性のある頭脳をしてようです。ですからどんな職場でも通用するような傾向にあります。そして面白い事にクラシック音楽などを趣味としている数学者も結構多いですね。音楽そのものが数学的な構成になっているからでしょうか。
昔から日本人の持つ一つの美徳として、この「向上心」を持つことが揚げられます。
しかし、最近は余りこの言葉を聴く機会が無くなりつつあります。
この詩を読むに付け、何か新しい気持ちに揺さぶられるような感じさえします。
この斉藤 喜博くんの書いた詩の様に、多くの若い方が人生の途上で一つ一つ目的を設定して、それを一つ一つ達成していく喜びを味わい、さらにまた次の目標に向かって行っていただきたいと思います。
世界の名峰を一座一座登頂していく、アルピニストのように・・・
次回はこの新聞の最後に出て来た日本を代表する数学者(フィールズ賞受賞者)である「広中 平裕」氏の<学問の発見>の文章に付いて、そして生化学者「ルパート・シェルドレイクについて書いてみようと思います。
奄美ちゃんの加計呂麻日記
-23
今日は朝から雨が降っています。 それでも近頃は晴れの日が続くようになりました。
もう、3月の中旬になりました。 学校関係は入学試験、卒業など忙しい季節です。
加計呂間の小中学校でも卒業式があちこちで始まります。
奄美ちゃんの近所の小学校でも、3/23が卒業式だそうです。そして明けて4/06には入学式、始業式が始まります。
加計呂麻島 生間付近の海岸
先日、近所の「瀬戸内町立俵小学校」からいつもの<くじけるな>という名称の新聞を頂きました。そこに、斉藤 喜博くんの「ひとつのこと」という文章が掲載されていました。
「「一つのこと」」
いま終わる一つのこと いま越える一つの山 風わたる草原
ひびきあう心の歌 桑の海光る雲 人は続き道は続く
遠い道なるかな道 明日のぼる山もみさだめ いま終わる一つのこと
春の清々しい辺りの自然の情景がパノラマのように眼に浮かんでくるような綺麗な詩ですね。そして、自分の人生の一つの節目が眼の前に見える。 それを越えて次の目標に向かって進もう・・・・というような決意が読み取れます。
この一編の詩を一言で表すと・・・「向上心」・・・という事に書き換えることが出来ると思います。この向上心は何も若者だけに向けられた言葉ではありません。
幾つになってもこの言葉を忘れず、日夜自らの向上のために努力をする人間を若者と言って間違いでは有りませんでしょう。
少し前の事ですが、東京大学のある名誉教授が99歳の時、フランス語の数学の原書を邦訳(日本語に翻訳)して、話題になったことがあります。
* 弥永 昌吉 東大名誉教授・・・・戦前の数学界を代表する東大の高木教授の門下生。
高等学校の数学Ⅰ・Ⅱ・Ⅲの教科書の執筆者としても有名。 門下生にフィールズ賞受賞者の小平 邦彦,金融論の世界で<伊藤の公式>で有名になった、故 京大名誉教授の伊藤清がいる。
余談ですが・・・
フランス語を学んだ事がある方はご存知でしょうが、なかなか手ごわい言語です。
フランス語の文章を普通の速度で読める様になるには、大変な努力が必要です。
文章を現地人に普通の速度で読んでもらうと直ぐ分かりますが、初学者ですと文章に付いて行けません。 2~3行で何処を読んでいるのか分からなくなってしまいます。
アルベルト・カミユ <地中海>(メディテハネ)
時々、2~3の単語をあたかも一単語のように発音してしまうので、聞いてる初学者はそこで脱線転覆してしまうという事になります。後は唯呆然として、今読んでいる箇所を探すのみ・・・というような悲劇に遭遇します。
フランス語は普通、大学の1~2年生(回生)位でお目にかかることが多いのですが、大体これで「自分はとんでもない言語を第2外国語に選択した」ことを後悔します。
フランスは<ポアンカレ>や<ガロア>など、昔から有名な数学者を輩出してきた国ですが、90歳を遥かに過ぎてから、日本の数学の専門家が数学の原書を邦訳するというは、並々ならね決心と努力が必要になってきます。当然のことながら、出版した本は世界の専門家の眼にさらされることになります。数学書ですから文学書や文芸書のような文章表現の巧みさは必要ではないでしょうが、数学独特の正確さを要求されますでしょう。
この数学者の努力は敬服の一語に尽きます。 この方は出版の翌年に100歳で他界されました。精魂尽き果てたように・・・・この方は生涯青年で有られた方と思います。
一般的に言って、「数学者」は頭が柔らかい方が多いようです。柔軟性のある頭脳をしてようです。ですからどんな職場でも通用するような傾向にあります。そして面白い事にクラシック音楽などを趣味としている数学者も結構多いですね。音楽そのものが数学的な構成になっているからでしょうか。
昔から日本人の持つ一つの美徳として、この「向上心」を持つことが揚げられます。
しかし、最近は余りこの言葉を聴く機会が無くなりつつあります。
この詩を読むに付け、何か新しい気持ちに揺さぶられるような感じさえします。
この斉藤 喜博くんの書いた詩の様に、多くの若い方が人生の途上で一つ一つ目的を設定して、それを一つ一つ達成していく喜びを味わい、さらにまた次の目標に向かって行っていただきたいと思います。
世界の名峰を一座一座登頂していく、アルピニストのように・・・
次回はこの新聞の最後に出て来た日本を代表する数学者(フィールズ賞受賞者)である「広中 平裕」氏の<学問の発見>の文章に付いて、そして生化学者「ルパート・シェルドレイクについて書いてみようと思います。
奄美ちゃんの加計呂麻日記
Posted by 奄美ちゃん at 16:42│Comments(0)